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理性的表現クライシス

これまでの理性的でルールに従順な表現を捨てて、より本能的なものに切り替えることで、既存の表現スタイルを壊して革命を起こそうという試みです。

正しい社内コミュニケーション〔桜井係長はドM〕

断片集

 桜井係長の正面に腰かけて、わたしは二杯目のコーヒーを飲んでいた。彼の分を淹れるついでに、自分のも新しく作り直したのだ。

「……暇なのか?」

 腕時計を確認しながら、桜井係長が訊ねた。

「言わずもがな、です」

 経理課で補助的な仕事を担当しているわたしは、仕事量が少なすぎて、どんなに時間をかけても午後三時には全業務を終えてしまうのだ。どうやらうちの社長が相当な見栄っ張りらしく、社内にはわたしのようなお飾り社員が何人も存在していた。

 入社したてのころは他の人たちのように表面上は仕事をしているように取り繕っていたけれど、一カ月もするとめんどくさくなってきて、最近は堂々と社内をうろついては暇つぶし相手を探していた。

「いいなー」

「桜井係長は忙しんですか?」

「……まったくだな」

「なんだそれ」

「お、いいね、その冷めた表情」

 本気なのか冗談なのか、桜井係長はそんなことを言う。そして、ちょっとそわそわしながらわたしがマグカップに口をつけているうちに、

「最近パンチの効いた笑いを取れるやつがおらんくてさびしいなあ」

 ともう次の話題に移ってしまった。たぶん、さっきのはどうでもいい会話だったのだろう。どうでもいいと言えば、わたしたちの交わすやり取りのすべてがどうでもいいような気がするけれど。

「たとえば、どんな感じですか?」

「んー……俺が階段を下りてるとするだろ? そこをこう、背後から足音を立てずに迫ってきて……」

「突き落すんですね。まかせて下さい!」

 ひらめいたオチの完成度の高さに興奮して思わず大声でそう叫ぶと、桜井係長はビクッと体を後ろにそらして「ちょ、ちょっと本気で怖いぞ」と、もともと小声なのにいっそう声の音量を落としてつぶやいた。

 大抵のことを「おもいしろい」の一言で受け入れてしまう桜井係長の、本気で引いた顔を目にしたのはそれが初めてだった。